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虚呂路

虚呂路

                          やたらと自己分析に耽っていた頃。 今にして思えば、あれは『分析』と同時に『構築』でもあり、きっとあれこそが己の酷く短い思春期だったのだと気付いた今日この頃。
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 内容の概ねに意義が見出せないままセミナーは終了。
 感想文には当たり障りの無いことを適当に連ねて提出した後に、
 各科目の説明や時間割の説明を受けて、選択科目を申請することに。
 哲学は選択したいと思っていたのだが、学校側の都合で今期は開講できないと
 知って少しばかりショックを受ける。
 さらにテーブルに置いた眼鏡を取り上げたら、
 何故か片方のレンズが外れてしばし凍りつく私。
 伸びていた爪を駆使する事により、どうにか強引にネジを締め応急手当をする。
 それ以降は夕食や入浴を済ませ、部屋で過ごした。
 六人部屋で内三人は野球を熱心に観戦し、二人は携帯に齧り付き、
 私はひたすら本を読む。
 この辺りで各々与し易い相手を捕捉しただろう。私は誰も居そうになかったが。
 まあ精々「来るもの拒まず去るもの追わず」程度で付き合っていくつもりだ。
 自分から距離を縮めようと試みるつもりはやはり無い。
 事務的な会話ばかりで、結局その日は終えたのだった。
 その夜は覚えている限りで相当久しぶりに夢を見た。
 淡い赤を背景に雲の上の蒼空を一隻の飛空挺が飛んでいくイラストを見た。
 三人のRPGにでも出てきそうなキャラも描かれている。
 何故だか、どこかで見たことがあるような気がする絵だった。
 懐かしさと共に、三人の名前までもが頭に浮かぶ。
 起きた後もそれはしっかり覚えていて、なんとなくメモを取った。
 雰囲気は昔やった「ぶぎゅるーの冒険」に似ているなと思い返したけれど、
 全然違う気もする。
 それ以前にアレには人間は出てこなかったよな……? よく分からないや。

 翌日は富士急ハイランドに向かった。
 親睦を深めるためと言っても、一緒に回る相手は居ない。
 テーマパークに一人っきりで、四時間もどう時間を潰せというのだ。
 や、これは八つ当たりだな。一人を選択したのは私だ。
 私は絶叫系やお化け屋敷の類がとても嫌いだから、
 それらを除くと観覧車とメリーゴーラウンドくらいしか乗れそうなものがない。
 それでも「ゾーラ7」とかいうコースターに乗ってプレイする
 シューティングゲームがあったから挑戦してみたが、
 あぁ何たることか。後半がジェットコースター同然であったのだ。
 よくよく考えれば予測できそうなものだったが…。無念。一生の不覚。
 それで気力を使い果たし、飲食店にコーヒー一杯で居座ることにした。
 本を持っていって本当に良かった。
 結局のところ収穫は、アトラクション施設の殆どは心底私という人間に
 向いていないことが改めて分かった程度のものであった。
 とうの昔から自覚はあったから、今更再確認なんてしたくも無かったな。
 集合の後バスに乗り込み、川越駅で解散。
 もうこれといって特筆すべき出来事は思い当たらない。
 そもそもここまでの記録自体に、特筆する必要が見当たらないかもしれないが。

 事前に駅構内で本を三冊ほど買って行った。
 一冊は以前ちょっと紹介した「神様のパズル」。
 偶然見つけて、せっかくだから読み返すことにした。
 これは一日目の就寝寸前にようやく読了。
 『宇宙を作ることはできるのか?』という壮大で物理学的なテーマの作品だが、
 語り手の主人公はダメ学生。
 四年間本当に勉強したのか疑いたくなるような、ダメッぷりです。
 だからこそ予備知識の無い一般読者も、彼と一緒に何となく分かったような
 気分になれるのだろうけどね。
 宇宙を作るために、まずはこの宇宙を。ひいては物理学を根本から
 考察していく過程では、何となく自分の考え方に近いものを感じることがあった。
 最終到達理論を観測者たる人間の性質まで含めて答えを導き出した際には
 ハッとするものさえ感じたものである。
 読んでみると少しモノの見方が変わるかもしれない。
 何となく生きているうちに常識や先入観、思い込みによって固定化された
 思考を見直す機会を持てるだろう。
 ……少々レトリックが過ぎるかな。
 でも、大袈裟だろうがそんな風に感じたことには変わりない。
 残り二冊はエッセイだ。色々考えることもあったが、
 感想にはなりそうも無いから省略。

 渦中にいる間は実にどうでもいいものに思えていたが、
 後々それなりに考えることの多かったイベントだったかもしれない。
 しかしどうなのだろうね。自分なりにでも己がどんな人間なのか。
 どんな考え方や価値観を持っているのか常に把握し、理解している人ってのは
 どの位いるもんなんでしょうかね。
 私のように自分について悩みまくる日々を送る方はどれくらい居るのか。
 や、思春期ならあるかもしれないけれどね、
 なんか私の悩む方向とは違う気もする今日この頃。
 それも個性さと嘯いた、二時間半の道程を往復する日々の始まりでした。
 ……あぁ、それと。平日帰りが七時を回るくらいにはなってしまうので、
 恐らく週末しか更新できないことが多いと思います。
 忙しくなってきたねぇ……ノートパソコン、本気で考えようかな。

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 セミナーから帰ってきました。あぁ、実に七面倒なイベントだった。
 一日目にあったコミュニケーションセミナーは、
 自己分析と対人礼儀の講座のようなものだった。
 正直私にとっては、八割方どうでもいい内容だ。つまらん。
 ただ人間のタイプというか、性質を四種類に分けて説明したのは
 参考になったかもしれない。
 自己表現と自己主張の度合いで円グラフ化してあり、
 私の場合は自己主張が強く、自己表現が少ないタイプと出た。
 因みに、自己主張は内面的な信念や考えの類。
 自己表現は表に対して思想などを出していくこと。
 特徴は以下の通り。

・調査、分析を好み、時間をかけ堅実な仕事をする。
 調査や分析は好きで、確かに物事を丁寧に進める性質はあると思う。
 だが嫌いなものに対しては逃げ腰なので、ぎりぎりまで逃げて勢いで片付ける。
 よって、堅実とは一概に言いがたい。

・物事を論理的かつ慎重に観察し、データによる裏づけを重視する。
 自分が論理的であるかは怪しいところだ。
 論理は誰にでも共通して理解できなければならない。
 故に価値観など個人ごとに異なる要素の元に立てられた考えは、論理ではない。
 裏づけは重視する。絶対的な答えを提示するには、証拠は不可欠だ。
 物事の一面だけ見て私は納得を得られない。

・周到な準備で、質の高い仕事をしようとする。
 準備は…むしろあまりやらない。気まぐれな気分屋という性質もあるようで、
 行き当たりばったりだったり、手当たり次第だったりと無計画。

・こだわりを持っている領域では自分の価値観を保持し、
 人からの批判にも揺るがない。

 こだわりというか、自分の考えは大切にする。
 一人ひとり何処かしら違うのだから、それぞれの考えは違っても自然なことだ。
 各々の考え方は当人にとって正しい。私の考えは私にとって正しい。
 だが、他人にまでその正しさを押し付けることは出来ない。
 故に論破された場合と納得できた場合を除いて、押し付けには徹底抗戦する。
 ……ところで、実はこの論理は矛盾のようなものを抱えている。
 押し付ける相手に対して、押し付けることが出来ないと言っておきながら、
 その理由。前提条件自体を相手に押し付けることでこの論理は成り立っている。
 よって、持ち出しても、私自身相手と同じことをしていると言えてしまう。
 でもまあ、前提条件に相手が納得してくれたら大丈夫なんだが。
 ややこしい話ですね。
 気づいたは良いけれど、私もどう考え直せば良いのか分かりません。
 人間は元々矛盾を抱えて生きているんだと聞いた覚えもあります。
 しばらくはその言葉に甘えて現状維持。模索し続けようじゃありませんか(逃。

・感情や気持ちよりも思考、概念を優先させる傾向がある。
 できれば自分の考えに基づいた行動をしていたいと思うが、どうにも出来ない。
 気分屋の性質が関係しているのか。自己同一性が不安定だとでも言うのか。
 自分の行動も思考も制御できていない。様々な自分を感じる。
 それともよく~モードと称するように、色々な自分があるものなのだろうか。
 いや、それは違うか。気分の切り替えとはわけが違う。となると気分屋も違う。
 本来のものと思っていた考えや性質から変化しているのだ。
 それとも普段私は考え、それに従うことで本来の性質を押さえ込んでいるのか。
 理性で本質を押さえ込んでいるなら、何かに夢中になっている時や、
 熱くなっている時などのふとした拍子に表面に現れることもあるかもしれない。
 ……でもこれは考察しても確実な答えは出ないのだよな。
 検証のしようが無いから確かな証拠を得られない。
 
・人には節度ある冷静な態度で接し、適切な距離感を大切にする。
 社会の公的な場に立つときは、そのルールに則って行動する。
 そうしなければ、その場に立つことさえ許されず、出来なくなる。
 生活は社会が無ければほぼ成り立たないのだから、立ち続けなければならない。
 だから、礼儀作法はそれなりにわきまえているつもりだ。
 社会から離れた私的な人との距離感に関して言えば、
 リアルで自分から積極的に変えようとすることはあまりないだろう。
 自発的に友人を作ろうとすることもない。
 交流自体は好きなのだが、自分の考えに沿わないこと。嫌なことにまで
 付き合わなければならないのは嫌なのだ。しがらみ嫌い。
 その点ネットでは、面倒な「お付き合い」があまり無いから割と積極的かも。
 しかし、以上のように付き合いを極力避けるが故に、
 実のところ社会に対して取るべき態度はや礼儀もまだまだ未熟かもしれない。

 …友人と書いたが、私の定義では大きく分けて二種類の友人が存在する。
 一つは互いが互いを思いやり、助け合い、協力する関係。
 こちらは親友と言い変えても良い関係だと思う。
 もう一つは社会から孤立しないためだとか、自分を守るために作る関係。
 これはクラスメイトなどでよく見られる。大抵その場その時限りの関係だ。
 そして、一つ目は自分と同等かそれ以上に相手を大切にするが、
 二つ目は自分本位である。
 そのくせ表面を取り繕って親友の如く振舞うことが多い。
 実際は相手が虐められたりしていても、見捨てるだろう。
 予定調和の表面的なお付き合い。
 同調を前提とする没個性かつ排他的な友情。
 この距離感が最も私は嫌いである。
 んで、幸か不幸か今のところ私にはどちらの友人もいない。
 二つ目の友人と近いが、ビジネスライクとでも言うべき関係が殆どである。
 これも自分本位だが、まったく歯に衣着せぬ関係だ。
 お互いにお前には利用価値があるから付き合っていると認めている。
 言いたいことはキツいものでも忌憚なく言うおかげで、
 普段の会話は傍から見れば結構酷い有様かもしれない。
 でも私には、下手な友人関係よりこっちのほうが気が楽である。

 翌日の富士急ハイランド。読んだ本に関しても書いてたら長くなったので分割。
 と言うかこの時点で十分長いぞッ(笑)。
 さてさて、一体誰が私の自己分析なんぞ読みたいんだという心の底からの
 突っ込みはあなたも私も御一緒に完全スルーでよろしくお願いします。
 というか、ここまでたどり着いてる人がいるのかも怪しいぜ。
 なんつーかもう、知り合い以外ドラゴンラージャの検索結果でしか来なくて
 もっと違うものも書かないとな、と思ってはいるんですがね。

 はてさて、とうとう大学通いが始まります。
 今日は事前の説明会。明日が入学式。
 そして明後日からは泊りがけでセミナーですよ。
 なんと富士急ハイランドにも行っちゃうらしいですよ。
 親睦を深めるためだそうですが、自分はベンチで一人ソフトクリームでも
 堪能することにしましょう。
 それにしても、電車による片道二時間の行程はキツイ。
 慣れるまで大変そうです。

 今年に入ってから、読書欲が驚くほどなりを潜めておりましたが、
 帰りに駅構内のパルコの書店をぶらついていたら、また湧き上がってきました。
 果たして気晴らしの必要が無いゆえか? それとも読書自体に飽きたのか?
 はたまた読んでいた本が単に全てつまらなかっただけだったのか?
 自分で書くことも趣味として見出し、依存度や優先順位が下がったのだろうか。
 理由はよく分かりません。一つだけじゃないかも。まったく違うのかも。
 でも、今は読みたいと思える。嬉しいけど、しかしこれからどうなるのか。
 高校生の時と同じくらいの勢いに戻っちゃったら、
 多分図書館に行って大量に借りてきちゃいそうだしなー……。
 親は説得して、量を減らすことで同意し、封印は免れたものの、
 自制できるのかなー……。
 そして実際、大学始まってから読める時間がどの位あるかなー……。
 大体、やたらめったら手当たり次第に読むのは止めようと
 思ったばかりだしなー……。
 嬉しいけど、困ったもんだなぁ。

 エイプリルフール。
 今年も素敵な嘘があちらこちらで乱れ咲いたようですね。
 一年のうち、この日が最もネットサーフィンのしがいがあると思うのですが、
 残念ながら私がパソコンに触れられたのは、一日が終わる寸前の深夜でした。
 辺境紳士さんのところのアンケートに乗り遅れなかったのが、救いです。
 それにしても360以上も集まったのか~(笑)。
 自分は二つ送りましたが、一つはボツ。
 ラジオを聴いた人ならわかる「わんわんっ!な自画像」は
 いいアイディアだと思ったのだけど惜しかったなぁー(笑)。
 ボツ集に残しすらしなかった勇者王はどんなだったのか、
 気になって仕方がありませんよ。
 それにしても、あの方はやはり粋な人ですね。
 嘘をつくときには若干の真実を織り交ぜること。
 描くのは本当。ただし、画集として刊行ということが嘘なのかな。
 これからがひと際楽しみですよ。

 一ヶ月間小学生達に古武術指導をしてきましたが、ようやく終了。
 回を重ねるごとに体術に対する自信を失っていく。
 でもお陰で、どれだけ鈍っているか自覚も出来たし、いい勉強になりましたね。

 最後の練習はひたすら私が投げては起き上がらせてを繰り返し……。
 要は、受身を取らせる練習です。
 一人十回づつ投げるのだけれど、ふとこちらが投げるのを途中で止めると、
 力を加えていないのに、彼らは自分から転がっていってしまう。
 まあ、気持ちはわかる。腕を捻られるのは痛いよな。
 自分から倒れた方が楽だよな。
 でも練習にはならないし、今自分から転がったな?と問い詰めて、
 首振って否定している間に不意を突いて倒したりして、
 すると見事に頭をぶつける。……修練の成果がまったく見えん。
 まあ彼らの気分としては、所詮遊びのようなものなのだろうし、
 こっちも楽しませるように指導しなきゃいかんのかもしれなかったな。

 その後の棒術の練習の時に、何だか見覚えがある人がいると思っていたら、
 むこうは何故かよく覚えていたらしい。
 私が小学校五年でまだ子供クラスにいた頃、大人クラスで訓練していた人だ。
 クラス全員の名前と顔を覚えるのに半年かかる私にしては、
 ぼんやりでもよく覚えていたものである。
 あの頃は帯の色を見て、ずっと先輩だと思っていたのだけれど、
 ちょうどその時入門したばかりだったそうな。
 大人クラスから始めると、年齢を考慮してずっと上の級から始まるらしい。
 よって、私が十三年目に入るのに対し、彼はまだ八年目。
 なんと私の方が先輩だったのだ。また、彼の年齢は私の二倍だという。
 遥か年上で、ずっと先輩だと思っていたのに本当は後輩だった人。
 そんな相手に指導するのは、なんともいえない、不思議な気分だった。

 大学が始まって、忙しくなったら、
 果たして今までのように通えるのだろうか。
 続けていきたいな。最初の頃は私も遊びの気分だったし、
 親に言われたのが始まりだ。
 でも、今は自分の意思で、好きでやっている。
 やっぱり、続けていきたいと思う。

 まずいな、と思う。ネタがなくなって連続更新を止めて以来、
 しばらく思考停止に陥って、ろくに物事を考えられない状況にありましたが、
 それは復活。
 思い返せば、口から出る言葉も、自分の信念から外れてばかりで、気分が悪い。
 根拠の無い断定と、自分の意見が正しいという独善的な要素が含まれている。
 頭の中で修正しても、行動が伴わない感じでもありました。
 まったくもって自分自身が嫌になる日々だった……。

 ただ、また頭が前向きに色々回るようになって、何故突発的に
 眠りと覚醒の狭間をたゆたう様な呆然とした頭になってしまうのかを
 考えていると、色々な要素が頭に浮かんで絡むものの、整理しきれない。
 さらに、前に物事を楽しめないのは、辛くてつまらないモノが無いからと
 思ったけれど、それもよくよく考えてみれば、一種のメリハリの問題だ。
 メリハリをつけるという観点から見れば、まだまだ要素は挙げられる。
 その上、自分はこんな感じの人間だと、ある程度の像を結んでいたものの、
 普段のそれとは別種の雰囲気を持っている時が随分あることに気付く。
 古武術をやっている間の自分はむしろ友好的で、積極的に指導まで買って出る。
 足し算引き算で人との関係を考える基本姿勢とこの違いは何だ。
 そんな道場においてのみ聖人君子を気取って演じ、社会性を取り繕う必要は
 見当たらない。というか、考える間もなく自然とそんなことをやっている。
 自分という人間について考えるけれども、どうにもわからないな。
 以前にも増して分からなくなってしまった。
 自分のことは自分が一番よく分かっている、という言葉は少なくとも私には
 当てはまらないらしい。
 別に、どんな自分が正しいと決めたいわけじゃあない。
 そもそも、人間性も概念的なものだ。
 私を複数の人間が見た場合、それぞれに違う印象の私がある。
 そのどれもが私なのだ。全てを包括した上で私なのだ。
 そして、私自身が認識している私という存在にしても、
 私自身の価値観などで構成された主観によって捉えられた人物像に過ぎない。
 最も多くの「私」を知っているという点では一番知ってはいるかもしれないが、
 それがどういうことかを判断するのは、
 所詮不安定で不完全で歪な一人の人間としての主観だ。

 いや、ちょっと落ち着こう。自分でも訳が分からなくなってきた。
 なんか論理のすり替えが起こってないか……?
 一体論点は何処だったかな……読み返しても分からん(笑)。

 ただ、そうだな。メリハリをつけるという点に関して。
 私はどうにも昔から、興味の向いたことに対しては、猪突猛進の如く
 何処までものめり込む性質があるようだ。
 その代わり、興味の向かないことや嫌なことに対しては、
 行う必要性があるものでも、逃げの体制でギリギリのところまで後ずさり、
 崖っぷちでどうにか受け流す。
 そんな風だから、メリハリのつけ方ってのが、いま一つよく分からない。
 ……ま、色々悩んで考察してみることにしますか。
 前に進んでいるのか、戻ってしまっているのか、
 はたまた堂々巡りをしているような気もしますが。
 少なくとも繰り返し反復するのは大事だろう。これは古武術と同じだな。

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自己紹介:
・趣味に頼って生きている
・活字中毒者の疑惑
・主にラノベ・ジュブナイル系
・サブカルチャー全般が好き
・王道は避け気味
・古武術歴17年だが激弱
・猫は正義

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