虚呂路
虚呂路
やたらと自己分析に耽っていた頃。
今にして思えば、あれは『分析』と同時に『構築』でもあり、きっとあれこそが己の酷く短い思春期だったのだと気付いた今日この頃。
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某先輩小説書きさんのブログ上での応酬を読んで、少しばかり凹みました。
なんだか、ますます小説を書くという事が遠く思える。
楽しんで気軽に書いてみればいいと言う人は結構いるのだけど、
高みにいる方々の考えを聞くとそんな軽い気持ちで書くことが恐れ多く思える。
彼らを侮辱しているように感じてしまう。
いや、まだ書いてもいないのに、こんなことを言ってる時点で
失礼なのかもしれないけれど。
ここから先は殆ど独り言のようなものです。
支離滅裂な上に結構ネガティブなので、お薦めしません。
なんだか、ますます小説を書くという事が遠く思える。
楽しんで気軽に書いてみればいいと言う人は結構いるのだけど、
高みにいる方々の考えを聞くとそんな軽い気持ちで書くことが恐れ多く思える。
彼らを侮辱しているように感じてしまう。
いや、まだ書いてもいないのに、こんなことを言ってる時点で
失礼なのかもしれないけれど。
ここから先は殆ど独り言のようなものです。
支離滅裂な上に結構ネガティブなので、お薦めしません。
ろくに物も考えず、ただ周りに言われた通りに従い、
その他のことは楽しければ良いと思っていた頃がある。
無邪気だっただろう。周りのことを考えていなかっただろう。
あの頃だったら、たぶん何も考えていないなりに、
訳の分からん話を心の赴くままに書いていたんだろうな。
実際即興で滅茶苦茶な話を作っては、ごっこ遊びをしたものだった。
でも、今の私はそんな風に考えることは出来ない。
感覚で話を作ることが出来なくなっているのかもしれない。
興味のないことに関しては無関心という点は、変わっていないというのに。
これまでの短い人生なりに、色々な事があった。
それらの波が今の私を形作っている。
他人に通じない論理をぶちまける、ある意味危険人物だ。
変人なんぞと両親や教師達にすら言われる始末だが、まあ別に良い。
元々、あまり周りの目を気にしない恥知らずの気があるのだ。
ただ、これに関してはそうも言っていられない。
周りの目を気にしている、というのとは違うと思うが。
言うなれば、「自分」の目を気にしているのだ。
これと決めたことには、手を抜くことがなかなか出来ない。
完璧主義者といえば言いすぎだが、少し近いはずだ。
だが小説の完成形とは何か? あえて言うなら、自分が納得出来るものだろう。
先輩達を侮辱することに負い目を感じているのではないかもしれない。
知ってしまったから。漸近線の遥か上にいる人達を知っているから。
彼らと比較してあまりに程度の低いものしか書けない自分が許せないのだ。
納得できないのだ。自分が自分自身に対して、納得がいかないのだ。
とかまあ考えてみる。支離滅裂だな……。
しかし、実際どんな話を書いたものか。
事件を描こうにも何気ない日常を綴ろうとしても、
なんだか書いてることが単なる説明に見える。こんなものは、物語じゃない。
何だか未だに感受性は戻ってこないし……うーん。なんでだろう?
当然ながら、常に感動し続けている人間はいないだろう。居たらちょっと怖い。
では、感動とは何だ。
あやふやとした答えだが。
つまらなくて退屈で苦しくて面倒くさい日常の中で、ふとしたときに心に響くもの。
ここから考えてみると、感動は何かしらの苦行の中で見つけるものだ。
つまり、何か引き立てるものがあって初めて感動と言うのは生まれるのか。
今の自分の生活にはそういうものがない。
やるべきことが以前に比べて格段に少ない。
自分のやりたいことにほぼ全ての時間が取れる環境だ。
ある意味天国かも知れん。
だけど苦しみが無く、感動を与えてくれていた要素が溢れている状況では、
感動していたことが当たり前のものになっていて、
もはやそれは普通のことに成り下がっていると考えられる。
となると、どうやら自分で自分の感受性を腐らせていたらしい……。
なんてこったい。それなりに忙しかった日々よっ! カムバァーック!!。
と、叫んだところでさしたる意味は無いが。
このままじゃいかん。苦行が欲しい。バイトの結果はまだなのだろうか。
もう四日経つというのに。まったく……。
話が外れまくる。危険だなぁ……ちょっと長くなってしまったし。
一応、書いている話はあったりする。
結末を考えずに、ただ一つの思いつきを基にしたものだが。
まったくもって、しょーもない思い付きである。
穴があったら埋めてしまって自分も嵌りたいかもしれない。
でもまあ、続けてみるしかないのだよな。元より振り返るつもりは無い。
前は霞んでよく見えないけど、進んでいくしかあるまい。
その他のことは楽しければ良いと思っていた頃がある。
無邪気だっただろう。周りのことを考えていなかっただろう。
あの頃だったら、たぶん何も考えていないなりに、
訳の分からん話を心の赴くままに書いていたんだろうな。
実際即興で滅茶苦茶な話を作っては、ごっこ遊びをしたものだった。
でも、今の私はそんな風に考えることは出来ない。
感覚で話を作ることが出来なくなっているのかもしれない。
興味のないことに関しては無関心という点は、変わっていないというのに。
これまでの短い人生なりに、色々な事があった。
それらの波が今の私を形作っている。
他人に通じない論理をぶちまける、ある意味危険人物だ。
変人なんぞと両親や教師達にすら言われる始末だが、まあ別に良い。
元々、あまり周りの目を気にしない恥知らずの気があるのだ。
ただ、これに関してはそうも言っていられない。
周りの目を気にしている、というのとは違うと思うが。
言うなれば、「自分」の目を気にしているのだ。
これと決めたことには、手を抜くことがなかなか出来ない。
完璧主義者といえば言いすぎだが、少し近いはずだ。
だが小説の完成形とは何か? あえて言うなら、自分が納得出来るものだろう。
先輩達を侮辱することに負い目を感じているのではないかもしれない。
知ってしまったから。漸近線の遥か上にいる人達を知っているから。
彼らと比較してあまりに程度の低いものしか書けない自分が許せないのだ。
納得できないのだ。自分が自分自身に対して、納得がいかないのだ。
とかまあ考えてみる。支離滅裂だな……。
しかし、実際どんな話を書いたものか。
事件を描こうにも何気ない日常を綴ろうとしても、
なんだか書いてることが単なる説明に見える。こんなものは、物語じゃない。
何だか未だに感受性は戻ってこないし……うーん。なんでだろう?
当然ながら、常に感動し続けている人間はいないだろう。居たらちょっと怖い。
では、感動とは何だ。
あやふやとした答えだが。
つまらなくて退屈で苦しくて面倒くさい日常の中で、ふとしたときに心に響くもの。
ここから考えてみると、感動は何かしらの苦行の中で見つけるものだ。
つまり、何か引き立てるものがあって初めて感動と言うのは生まれるのか。
今の自分の生活にはそういうものがない。
やるべきことが以前に比べて格段に少ない。
自分のやりたいことにほぼ全ての時間が取れる環境だ。
ある意味天国かも知れん。
だけど苦しみが無く、感動を与えてくれていた要素が溢れている状況では、
感動していたことが当たり前のものになっていて、
もはやそれは普通のことに成り下がっていると考えられる。
となると、どうやら自分で自分の感受性を腐らせていたらしい……。
なんてこったい。それなりに忙しかった日々よっ! カムバァーック!!。
と、叫んだところでさしたる意味は無いが。
このままじゃいかん。苦行が欲しい。バイトの結果はまだなのだろうか。
もう四日経つというのに。まったく……。
話が外れまくる。危険だなぁ……ちょっと長くなってしまったし。
一応、書いている話はあったりする。
結末を考えずに、ただ一つの思いつきを基にしたものだが。
まったくもって、しょーもない思い付きである。
穴があったら埋めてしまって自分も嵌りたいかもしれない。
でもまあ、続けてみるしかないのだよな。元より振り返るつもりは無い。
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・サブカルチャー全般が好き
・王道は避け気味
・古武術歴17年だが激弱
・猫は正義
メール:
greed0106★yahoo.co.jp
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