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虚呂路

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                          やたらと自己分析に耽っていた頃。 今にして思えば、あれは『分析』と同時に『構築』でもあり、きっとあれこそが己の酷く短い思春期だったのだと気付いた今日この頃。
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やっとこさレポートが書き上がったついでに、ちょいと更新してみようか。
知り合いが東京都の某条例に触れていたんで、それについて軽く書いてみよう。
私は深夜の2時になにやってんだろーな……。

某条例っていうのは、もちろん『東京都青少年健全育成条例』のことである。
今日の本会議で可決の見通しが立っているとのことで、騒動を巻き起こしているらしい。

この条例案ってのは、思えばずいぶんと以前から言われていたわけで。
でも、そもそも2002年の時点でこの方針が決まっていたことを知る人は少ない気もする。

2002年、日本は国内法で対象外だった「児童ポルノの所持」と「アニメや漫画のポルノ」禁止も含めた国内法の整備の約束すると、国連議定書に署名させられていたんだよね。
これはどういうわけか強制的な署名要求だったのだよな。

それが最近になって動きが活発化し、諸方面で論争と混乱を招いている、と。
今年の春頃にも議会に条例案が提出されて、ネット中が大騒ぎになったと記憶している。

その時には、ネット上の知り合いが軽く暴走して、説得するのが大変だったな。
抗議が有効となる時間が少ないあまりに、焦燥に駆られてしまうのは分かるんだけど。

個人的には、感情的には、私もそんな条例は勘弁して欲しいわけで。
でも、感情だけでぶつかっても、論理の世界はなかなか動いてはくれないわけで。

そう、感情の暴走に付け焼刃の知識を携えて抗議活動をしても意味はない。
条例改正に至る経緯、それが提起された理由を考察し、改正が「正しくない」と断ずるに足る理論を構築しなければ、論理性に欠けた支離滅裂な思考と無知を晒すだけになってしまう。

実際、春の提出では改正に至るまでの経緯をよく知らないまま、既得権益を損なうことを恐れて感情的に批判を行う傾向が強かったように思う。条例によって失われるものにばかり目を奪われている人が多いように感じたことを覚えている。

そして、既得権益を奪う条例に敵意を剥き出しにする一方で、何故そのような改正案が提起されたのかを想像することを放棄しているようにも感じていた。条例の向こう側にはそれを提起した本物の人間が居るのだという視点が欠けているんじゃないか。
出て来た案と喧嘩したってしょうがない。その向こう側にいる異なる考えの人と対話することを考えないと、堂々巡りにしかならないんじゃないか。

対話を放棄した主義主張を叫ぶだけの抗議活動の先には、不毛さしか残らないと個人的には思ったりするわけで。大本は国連議定書とはいえ、それに賛同する人々も少なからず存在するのは事実なのだし。

……まあ、条例に対する戦術と、長い目で見た対話は別物といえばその通りなんだけど。

感情抜きの単純な論理としては、表現の自由と公益は別物として扱うべきという考えから、双方の対話によって線引きがされるべきだと思う。しかし、この問題は線を引きようにも引けないデリケートな問題であることも確かなわけで。

改正内容の「不適切と認定しやすい曖昧な基準」を反対派は不備の槍玉に挙げているけれど、そもそも絵とは印象を主観に依存するものであって、どのように文章で表現しても万人にとってのイコールにはなりえない。つまり、文章にすることで逆に基準は曖昧になってしまうということになる。しかし条例をイラストで表現するなどということは当然ながら出来ない。表現できたとしても、やはり印象は個々人で異なるために基準という目的を為しえないだろう。

それ以前に、東京都の不健全図書指定についてある漫画が「不健全」と認定されるとき、理由は明示されないことはどれだけ知られているのだろう。不健全と認定される際の審議過程は不透明。よって、今回の改正案にある文言の内容と現在の仕組み、どちらにしても不健全と認定する烙印は押し放題であるという点は変わらない。


こんな屁理屈を抜きにしても、大抵の価値観に依存する問題に完全な正解はありえないから、「反対派」は否定の絶対材料を提示できない以上、せめて改正の代替案を用意するべきだと考えるのだけど、反対派の建設的な意見が未だに見えてこないのが現状かも。漫画家や出版社の公的な抗議の動きにしても、さほどの収穫もないみたいだし。

少なくとも、抵抗においては熱くなりすぎないことが重要なんじゃないだろーか。頑なな相手に歩み寄るためには引くことも大切だろう。そうして生まれた意図的な距離感の中に、初めてお互いの立場に対する想像力を働かせる余裕ってのは生まれるように思う。

安直に「自分たちが正しくて、改正が間違っている」という主張をする前に、既得権益を失うことを恐れる前に、条例改正について妥当性がないのかを考えてみることも必要なのだろう。条例は公益に属するものだから、感情的に妨害活動を行ったところでこちらがテロリスト扱いされるだけだし。正義感と危機感を履き違えちゃいけない。

条例の影響下にある全ての存在の利益を鑑みた上で、この問題に関する議論と活動は為されるべきってのは、きっとみんな分かっていると思うんだけどなぁ……。

しかし「皆と違うこと言ってる俺カッコいいってやつか?」とか「屁理屈を並べて傍観してるだけじゃん」と思われるような内容である。やはりあらゆる意味で不適合者なのか、私は……。
うん、何かこの記事はいずれ消しそうな気がする。

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