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虚呂路

虚呂路

                          やたらと自己分析に耽っていた頃。 今にして思えば、あれは『分析』と同時に『構築』でもあり、きっとあれこそが己の酷く短い思春期だったのだと気付いた今日この頃。
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右目がすこぶる不調という件について触れたが、そこから話を広げてみよう。

右目の調子が悪くなると、私は別の意味で不安になることがある。
冗談にしか聞こえないと思うが「幽霊が見えるようになる」んじゃないかと思うのだ。

何故なら、私の母は「見える人」で、幼少から心霊体験を聞かされてきたせいである。
母は日常的にその類が見えているそうで、語り口には無駄に説得力がある。
そのせいで、私は滅法ホラージャンルに弱くなってしまった。

一方、私は幸いにもこれまで心霊現象の類を目にした経験はない。
目にしたことはないが、どうも幼少から耳鳴りや空耳を覚えることが異常に多い。

人身事故から復旧したばかりの路線に乗った際の経験は、本気で怖かった。
電車が走行する規則的なガタンゴトンという音に混じって、別の音が聞こえてきたのだ。
私は窓を背にして座っていたのだが、それは窓ガラスを叩く音に思えた。
まるで、私の背後の窓ガラスを、誰かが手の平で外側から叩いているような音である。
ガタンゴトンに混じって、バンバン、バンバン、と聞こえてくるのである。
気のせいと思えばそれまでだが、私は鳥肌が立つほど怖かったので振り向けなかった。
正面の窓ガラスが鏡となって背後を映すことも恐れ、ずっと目を閉じていた。

ひょっとすると、私は「聞こえる人」なのかもしれない。
それが母から受け継いだ性質ならば、見える日が訪れないとも限らないように思う。
願わくば、そんな不幸な異能が目覚めることのありませんように……。

季節外れの心霊話だが、生憎とフィクションではないのであしからず。

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さてさて、なんのかんので冬期休暇がやってきた。
ここ最近の喉の傷みも無事に治まり、風邪の予兆は戦果もなく踵を返していったらしい。
誕生日までは慢性的な睡眠不足からも開放され、穏やかに過ごせそうである。


逆を言えば、誕生日(1/6)から早々に授業が再開されるってことだが……orz
そんなプレゼントはノーサンキュー!クーリングオフさせてくれッ!


実験・実習の類とレポート課題は残り僅かとはいえ、年が明ければ試験も間近である。
毎日の2~3時間睡眠で生ゴミのような何かと化してしまう生活……。
うわー!嫌だ!デスマーチには慣れたと思ったけど、やっぱ引きこもりたいッ!!(笑)


少しでも睡眠時間を多く取れるように気を配った方がいいかもなぁ……。
アレルギーの兆候はないのに、右目だけスッゲェ痒くなったり痛くなったりしたし……。
ずっと以前から、右目の調子は色々とおかしかったが、ここまで酷くはなかった。
左目に異常は無いのだから、なんともよく分からない症状である。
医者はホルモンやらアレルギーやら言っていたが、詰まるところ原因不明らしい。
そのうち、失明とか緑内障のような大事にならなけりゃいいんだがなぁ。



「七人の武器屋」「テツワンレイダー」の著者である大楽さんが連続更新を続けている。
それに倣って、私も休暇中は毎日更新を目標にしてみるかなー。

クリスマス・イブである。

例年のごとく、世間を見渡せば幸せそうな恋人たちが街に溢れている。
そして、独り身の友人らは嫉妬に悶えて聖夜撲滅を強く訴えているわけであるが。

まあ、私にはどちらも関係のない話だなぁ……。
なんだかんだで、どちらの陣営も良くも悪くも精力的で感心すら覚える。

私は例年通り、珈琲と本を携えて一夜を明かすことにしよう。
「Merry Christmas Mr.Lawrence」を聴きながら、聖夜は穏やかに私の上を流れていく。

そういや、知り合いが「Merry Christmas Mr.Lawrence」を知らないことに驚いた。
坂本龍一による「戦場のメリークリスマス」という映画のテーマである。
名曲として名高く、アレンジバージョンも数多く存在している。
私の最も好きなインストゥルメンタルの一曲だ。

やっとこさレポートが書き上がったついでに、ちょいと更新してみようか。
知り合いが東京都の某条例に触れていたんで、それについて軽く書いてみよう。
私は深夜の2時になにやってんだろーな……。

某条例っていうのは、もちろん『東京都青少年健全育成条例』のことである。
今日の本会議で可決の見通しが立っているとのことで、騒動を巻き起こしているらしい。

この条例案ってのは、思えばずいぶんと以前から言われていたわけで。
でも、そもそも2002年の時点でこの方針が決まっていたことを知る人は少ない気もする。

2002年、日本は国内法で対象外だった「児童ポルノの所持」と「アニメや漫画のポルノ」禁止も含めた国内法の整備の約束すると、国連議定書に署名させられていたんだよね。
これはどういうわけか強制的な署名要求だったのだよな。

それが最近になって動きが活発化し、諸方面で論争と混乱を招いている、と。
今年の春頃にも議会に条例案が提出されて、ネット中が大騒ぎになったと記憶している。

その時には、ネット上の知り合いが軽く暴走して、説得するのが大変だったな。
抗議が有効となる時間が少ないあまりに、焦燥に駆られてしまうのは分かるんだけど。

個人的には、感情的には、私もそんな条例は勘弁して欲しいわけで。
でも、感情だけでぶつかっても、論理の世界はなかなか動いてはくれないわけで。

そう、感情の暴走に付け焼刃の知識を携えて抗議活動をしても意味はない。
条例改正に至る経緯、それが提起された理由を考察し、改正が「正しくない」と断ずるに足る理論を構築しなければ、論理性に欠けた支離滅裂な思考と無知を晒すだけになってしまう。

実際、春の提出では改正に至るまでの経緯をよく知らないまま、既得権益を損なうことを恐れて感情的に批判を行う傾向が強かったように思う。条例によって失われるものにばかり目を奪われている人が多いように感じたことを覚えている。

そして、既得権益を奪う条例に敵意を剥き出しにする一方で、何故そのような改正案が提起されたのかを想像することを放棄しているようにも感じていた。条例の向こう側にはそれを提起した本物の人間が居るのだという視点が欠けているんじゃないか。
出て来た案と喧嘩したってしょうがない。その向こう側にいる異なる考えの人と対話することを考えないと、堂々巡りにしかならないんじゃないか。

対話を放棄した主義主張を叫ぶだけの抗議活動の先には、不毛さしか残らないと個人的には思ったりするわけで。大本は国連議定書とはいえ、それに賛同する人々も少なからず存在するのは事実なのだし。

……まあ、条例に対する戦術と、長い目で見た対話は別物といえばその通りなんだけど。

感情抜きの単純な論理としては、表現の自由と公益は別物として扱うべきという考えから、双方の対話によって線引きがされるべきだと思う。しかし、この問題は線を引きようにも引けないデリケートな問題であることも確かなわけで。

改正内容の「不適切と認定しやすい曖昧な基準」を反対派は不備の槍玉に挙げているけれど、そもそも絵とは印象を主観に依存するものであって、どのように文章で表現しても万人にとってのイコールにはなりえない。つまり、文章にすることで逆に基準は曖昧になってしまうということになる。しかし条例をイラストで表現するなどということは当然ながら出来ない。表現できたとしても、やはり印象は個々人で異なるために基準という目的を為しえないだろう。

それ以前に、東京都の不健全図書指定についてある漫画が「不健全」と認定されるとき、理由は明示されないことはどれだけ知られているのだろう。不健全と認定される際の審議過程は不透明。よって、今回の改正案にある文言の内容と現在の仕組み、どちらにしても不健全と認定する烙印は押し放題であるという点は変わらない。


こんな屁理屈を抜きにしても、大抵の価値観に依存する問題に完全な正解はありえないから、「反対派」は否定の絶対材料を提示できない以上、せめて改正の代替案を用意するべきだと考えるのだけど、反対派の建設的な意見が未だに見えてこないのが現状かも。漫画家や出版社の公的な抗議の動きにしても、さほどの収穫もないみたいだし。

少なくとも、抵抗においては熱くなりすぎないことが重要なんじゃないだろーか。頑なな相手に歩み寄るためには引くことも大切だろう。そうして生まれた意図的な距離感の中に、初めてお互いの立場に対する想像力を働かせる余裕ってのは生まれるように思う。

安直に「自分たちが正しくて、改正が間違っている」という主張をする前に、既得権益を失うことを恐れる前に、条例改正について妥当性がないのかを考えてみることも必要なのだろう。条例は公益に属するものだから、感情的に妨害活動を行ったところでこちらがテロリスト扱いされるだけだし。正義感と危機感を履き違えちゃいけない。

条例の影響下にある全ての存在の利益を鑑みた上で、この問題に関する議論と活動は為されるべきってのは、きっとみんな分かっていると思うんだけどなぁ……。

しかし「皆と違うこと言ってる俺カッコいいってやつか?」とか「屁理屈を並べて傍観してるだけじゃん」と思われるような内容である。やはりあらゆる意味で不適合者なのか、私は……。
うん、何かこの記事はいずれ消しそうな気がする。

さてさて、いつの間にやら時は流れて師走も間近となってしまった。
ここ暫くはレポートばかり書いていたため、砕けた文面を記すのは久方ぶりである。
よって、文字鍵を打つ指先は迷い箸のごとく覚束ないわけであるが……、
そもそもブログもレポートみたいな筆致だろうが!と言われそうな気はしないでもない。


どうして二ヶ月も放置状態だったのか?という問答に答えるならば。
単純に本業が多忙というのもあるが、とある不肖の事情が未だに解決しておらず、
しかも、それはアグレッシブに解決を図れる題目でもないということもあって、
そんなもどかしさの中で、私の心情の毒々沼ぶりは醜悪さを深めていたりしたわけで。


まあ、電波系の罵詈雑言ばかり出力しても非建設の極みであるからして。
もともと建設的でないのは棚上げで口を噤んでいたのが、心理的にも真理だろうか。
……あれ?早くも文章に電波的な異分子が紛れ込み始めている気がするぞ。


しかし、周囲の友人から 「そろそろ更新しようぜ、な?」 と言われたものの……
日常という往来の単純往復を繰り返すばかりの無味乾燥な生活の中で、
毒気と愚痴を排除すれば、趣味のこと以外に書けることなど残らないのは自明の理。


はて、何を書いたものか分からない。
なにやら最近、文章を書くことにそれほど有意な意義を見出せない。
書くという行為そのものは楽しいと言えるが、それは書くことでのみ得られるのか?
無二の楽しみでないとするなら、欲求を満たす手軽な手段は他にもある。
また、書くことと思考することは同時に行われる。
私は書くことよりも思考に悦楽を得ているのではないか、ならば書く理由は何だ?
思考の軌跡と着地点を残すため? 後日の検証、備忘録として有意義だ。
書くことそのものによって思考内容の整理にもなるだろう。
けれども思考と関係のない内容、記録に残す程度に値しない内容も含まれている。
それらを書くのは何故だ?他者からのレスポンスを期待してのことか?
なにかを主張したいという点では、自説の同意を得るための手段にも考えられる。
私は主張したいのか?同意を得たいのか?他者からの認証が欲しいのか?
私は書くことが好きなのか?どれくらい好きなのか?思考の一手段なのか?
己を基点とした利益を欲しているのか、他者からもたらされる利益を望んでいるのか?



……ああしまった! またヒートアップしてしまったではないかッ!

いかん、普通に趣味の話に入ればよかったのに、何処で間違ったんだ……。
うっかり気を抜いたり調子に乗ったりすると、すぐに自己分析に飛躍してしまうな……。
……って!これも軽く自己分析じゃないか!ストップ!ノーモア自己分析!

ああもう、次の記事はゴッドイーターバーストの話をしよう。
何時になるか分からないけれども、ありふれた馬鹿馬鹿しい話をしよう。
もうちょい砕けた内容を書けるようにしようじゃないか!そうしよう!それがいい!

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